歴史・文化について


五領(御領)地域の歴史について

上牧本澄寺住職 三好龍孝お上人が2015220日五領公民館において行われた講和の資料を紹介します。

冊子は、1項 はじめに ~ 20項 上牧の敗滅と道斉浜の繁栄及び、添付資料から構成されています。

17.五領(御領)地域の村の呼び名

1.川の港に入るには。特に増水時に、上流から急旋回に梶(舵・カジ)を切って港に入る操船技術は、注意を要したことでしょう。しかし港に入れば安全地帯であった。梶に注意して入った港の前に平原が広がっていて、そこに出来た山際の村を「梶原(カジワラ)」という。「梶を折らぬように」との戒めからその地の寺は「梶折」一乗寺とも(江戸時代になお)名乗っています。

2.「鵜殿(ウドノ)」村は「鵜」の集団という非常に古い由来の人々が住んだところです。この地は三島郡地域の中でおそらく最初に開けた発祥の港であり、飛鳥時代になお栄え続けていた証拠には、この辺り最古の寺院である梶原寺が目の前の梶原の地に建てられていたわけで、それはこの港が非常に立派に栄えていたことを意味するでしょう。

3.川の港の、すぐ岸には、水路(井路・イジ)の奥まった尻にあたるところから、その村を「井尻(イジリ)」という。この井尻村の田んぼの中に、「春日大明神」の神社がぽつりとひとつ森になっているのは、遠路を着岸した航海者たちが無事の到着を感謝して参拝する港の神社であったはずで、古い時代には春日大明神以外が祭神であったと思われます。上牧の春日神社の方が、古い時代にはこの神社の奥社に当ったのではないでしょうか。

4.ヨシ原の部分は外島(ソトジマ)とよぶ。「上牧(カンマキ)」に隣接の大きな細長い池は内ケ池(ウチガイケ)というから、上牧村のある場所自体が実は内島(ウチジマ)なのである。

5.それで、前(目の前の、下流の)の島にある村を「前島(マエジマ)」という。

6.神を「コウ」という読み方をする「神内(コウナイ)」村は、神南備森の対陣の時に、桜井から来た天照系のスサノオノミコトの内(ウチ)に属した地だから、100余国の神々の「カン」でなく「コウ」と読むと思う。向日市に神足(コウタリ)があり、要するに神々(コウゴウ)しいのです。また、紀州熊野の鵜殿村の隣りが同じく神内(コウノウチ)村なのです。

7.街道沿いに、優雅な名前の「萩之庄(ハギノショウ)」村がある。

8.「道斉(ドウサイ)」は元々が、大字・鵜殿村の一部の小字の名なのです。小字の道斉の方が大きくなり、大字の鵜殿を従えて現在は「道鵜町(ドウウチョウ)」になった。

9.なお、「ひの川」を境に東側が五領地域なのですが、「ひの川」は元は成合から南にまっ直ぐに南下していました。平安時代に、ひとつ上みの元の水無瀬川の河口の方に向けて、山沿いを流れる(不自然な)位置に(洪水被害防止と灌漑目的で)河口が付け変えられているのです。


上牧遺跡調査のご紹介

 西日本高速道路()関西支社の委託を受けて公益財団法人大阪府文化財センターが新名神建設事業に伴う上牧(かんまき)遺跡の発掘調査を実施しました。20181027日に発掘状況の現地説明会が行われ、400人ぐらいの人が各地から来られ発掘現場で研究員の方から熱心に説明を聞かれていました。全体の約3分の1の面積の調査が完了し、古墳時代初頭~後期前半期(3世紀前半~6世紀前半、1,8001,500年前)までの長期間継続する集落の様子が明らかとなってきました。竪穴(たてあな)建物(たてもの)が13棟まとまってみつかった工区と、(しゅう)(こう)()5基が見つかった工区を対象に、古墳時代の成果を中心に発掘現場の様子が公開されました。

 上牧遺跡は関西電力淀川変電所の建設時に存在が確認された遺跡で、高槻市教育委員会によって昭和4647年度に実施された発掘調査では、古墳時代初頭~前期と中世の遺構・遺物がまとまって確認され、調査担当者の橋本久和氏が近畿地方の瓦器(がき)(わん)の地域色と編年を確立したことから、全国的に著名な遺跡となりました。

 今回の調査では淀川本流の洪水による堆積で形成された()高地(こうち)上で古墳時代の居住域(きょじゅういき)が複数確認されています。現在の田んぼ耕作地のわずか30㎝下から微高地の最も高い部分が姿を現し、古墳時代の遺構・遺物がまとまって見つかったことから縄文時代後期以前に形成されたことが判明しています。上牧遺跡から内ケ池を挟んで北西側に位置する梶原(かじわら)(みなみ)遺跡は大原駅屋(おおはらのうまや)の有力な候補地でもあることから、古くから交通の要衝といえる地勢的な特徴を有しています。

 これまでにみつかった古墳時代の主な遺構・遺跡は、竪穴建物18棟以上、(ほっ)立柱(たてばしら)建物8棟以上、井戸2基、土器溜まり、落込み(谷)、周溝墓5基です。上牧遺跡は、三島地域東部の中でも規模の大きな中核的な集落であったと考えられます。

大阪府文化財センター「上牧遺跡の調査」資料より抜粋



高槻見聞録「五領地区編」

2018年2月 五領地区に濱田剛史高槻市長を迎えて収録されました。


五領地区連合自治会